「高木貞治の『解析概論』の思い出」 細山田得三

という記事を見つけた。
http://www.nagaokaut.ac.jp/j/gakubu/bgmokuji.html

いくつか引用。

大学の書籍部にその『解析概論』の軽装版が積まれていて私の目にとまりました。本のたすきにはムツゴロウ(畑正憲)氏の書評“体が震えんばかりの感激”とあります。

さて、この『解析概論』ですが、数論の大家である高木貞治だけに公理に基づいた精密な記述がその特徴となっているように思います。一方、解析学という学問は厳密な数学理論に端を発するも応用数学を介して物理現象を捉えるツールを提供するという意味において射程が長いものです。『解析概論』は、このような解析学微分積分学、解析関数、級数フーリエ級数、陰関数、多変数の積分ルベーグ積分)を公理論的な手法で解説しているためある種の分かりにくさ、素っ気無さ、それと裏腹のかっこよさを感じられます。覚えるべき公式を抜書きしてくれていたりするような読者に対するサービスはありません。昨今はやりの“単位のとれる微分積分学”みたいな2色刷りのきれいな参考書とは似ても似つかない。そのような大著を例えば、炎天下の日曜日の午後2時、座机に端座して1行1行なめるように読む。これが学問の道だとか何とか自分に言い聞かせながら。

ただこの『解析概論』だけは、冷めたあとブランクをおいてまた復活するという珍現象を繰り返し、第8章まで約10年間(1984−1995)読み続けることとなりました。

大学院のときに数学の勉強のやり方について数学専門の先生の居室に伺って話を聞いたことがありました。その先生は“繁華街にある○○という居酒屋がどこにあるか分かりますか?”と聞くので私は“はい”と答えた。先生は“数学とはそういうものだ”と言われました。つまり、大体分かればよい、(地図を思い描いて)それがどこにあるか分かればよい、さらに詳しく分かるためには何をすればよいか分かればよい、ということらしい。私が解析概論と取り組んだ1行1行なめるように読むというのはその考え方とは明らかに異なっていました。『解析概論』にはそのようなほろ苦い体験の思い出もあります。

解析概論もちゃんと読み直したい!